死
こんばんは。YUKIです。
僕は幸運なことに、生まれてから25年間、今まで1度も身近な人が亡くなったことがなく、「通夜」「告別式」を経験した事がありませんでした。
そんな僕ですが、今日、初めて「通夜」に参列してきました。
故人の生前は、持病もなく、いつも元気だったため、訃報の連絡があったとき、言葉が出ませんでした。
その方とは仕事のつながりで親しくさせていただいていて、新人だった時の僕を「何も分からない新人だ」と当時は全然話してくれなかったのに、僕が3年目になった今では「とても頼りになる」と直接言っていただけるほど関係も築けてきていて、お子さんの話などを聞くのが楽しみでした。
「死」は、あまりに突然訪れました。
3年前、母が癌になった時は、死と向かい合わせの半年が続き、その時は毎日のようにいつ「死」がきてもおかしくないんだと心構えていました。
闘病生活の結果、母が回復してからは、またいつの間にか「死」がすぐ近くにある感覚も、日常では薄れていきました。
今回は、またその感覚を僕に思い出させました。
いつ死がきてもおかしくないと。
死ぬ可能性は、実は身近なところにいくらでもあります。
天災、交通事故、くも膜下出血による突然死。
予防不可能の死。
次はいつ自分の番が来ても、おかしくないはない。
生
「死」を意識すると、「生」をより良く、充実させたいと、心の底から思います。
よく「明日、地球が滅びるとしたら何をする?」という質問がありますよね。
「明日」という文言があるので「家族と過ごす」と答えますが、突然の「死」は明日なんて待ってくれません。
では、今死ぬならどうでありたいか?
それは、「後悔を残したくない」です。
いつ死ぬとしてもその時に後悔をしない人生を送りたい。
3年前、「死」が身近に感じた時に思ったことです。
僕のいう後悔というのは、「あれをやっておけばよかった」「あのときあの挑戦をしておけば」といったものです。
なので、自分の「夢」に向かって行動したり、やりたいと思ったことをなんにも考えずにやってみることを心がけています。
今ではYouTubeにも挑戦していますが、まだまだ道半ばな現状です。
そう思ってみると、人生は本当に「旅」だと思います。
僕は、旅に終わりはないと思っています。
言ってしまえば、常に道半ばです。
人生一生涯かけたら世界中の全てをこの目で見ることができるのか?と考えてみたことがあるのですが、おそらく不可能だと思いました。
人生が100年あっても、この世界の全てを見ることはできません。
だからこそ、旅はしようと思えば終わりがありません。その事実が、僕は好きです。
なぜなら、飽くなき好奇心を永遠に満たすことができるからです。自分さえその気でいれば。
「夢」も同様で、もし自分の夢が叶えば、新しい夢がきっといつかはまたできるはずです。
そう思うと、人生ってとっても素晴らしくないですか?
なので、生きていることがどれだけ幸せか、生きている人は噛みしめなければならないと思います。
俺達はまだ「旅」を続けることが出来るのだから。
最後に
今回は、「死」と「生」について改めて考えてみました。
僕は結構アニメが好きなのですが、好きなアニメの1つに『鋼の錬金術師』というアニメがあります。
このアニメで、僕が忘れられないシーンがあります。
それは、主人公のエドワード・エルリックが、とある婚約者を失った女性にこんな言葉を残す場面です。
「立って歩け。あんたには立派な足がついてるじゃないか。」
この主人公のエドワードは、幼い頃に母を病気で亡くしており、その母を生き返らそうと禁断である「人体錬成」に手を出したが失敗し、腕と足を失ってしまった経緯があります。
リアルタイムでこのアニメを見ていた頃は、そこまで超刺さる言葉ではなかったのですが、今では僕の心に刻まれている言葉です。
正直、人生は思い通りにならないことだらけだし、嫌なことも本当にたくさんあるのですが、そんな悔しい時期、悲しい時期こそ、自分を奮い立たせて忍耐強く生きろと自分に言い聞かせています。
幸いにも僕の周りには、気が合う仲間や大切な友人達もいる。
いつ死ぬか分からない1度きりの人生。
立って歩け。俺には立派な足がついてるじゃないか。
END
YUKI from OVERVISION
上智大学 法学部 国際法学科 出身
高校時代はサッカーの名門校でサッカーに打ち込み、一般入試で上智大学に現役合格。卒業後は、金融業界へ。その後、外資系コンサルにジョイン。
趣味は、サッカー観戦・旅行・サウナ・アニメ。